2015年4月22日水曜日

精神保健福祉士と自由を望まぬ人50

 しかし、酔いもあるのか、本気でやめさせようとしているわけではない。にこにこして話し出すのを待っている。
 それを受けて、師長が話し出した。
 「あの山崎先生にね。山崎先生よ! しかも、今みたいなうなぎ犬じゃなくてさぁ。ハイエナみたいにギラギラしてた頃のうなぎハイエナでさぁ。俺の言うとおりにしろ!が口癖よ。」
 師長も酔いが回ってきているようだ。話が回りくどい。
 「そのうなぎがさぁ。お腹空いてそうだったから、パイあげたのよ。うなぎパイ。アッハッハッハ!」
 ダメだこりゃ。野間はがっくりとした。
 すると、「ハイハイハイ!!」。先輩が力いっぱい手をあげている。
 しょうがないので、「はいどうぞ。」と指すと、ばっと立ち上がって「あそれっあそれっ」と、うなぎすくいならぬどじょうすくいの真似を始めた。
 師長も一緒に始めたので、これはダメだと思っていたら、藤さんが声をかけてきた。
 「退散した方がいいわね。私は帰るわよ。」
 そう言うので、野間も付いて出ることにした。
 藤さんは、慣れたように店のおばあちゃんに、「つけといて。それから、悪いけど、あっちは適当に外に放り出してちょうだい。」そう言って出ていった。
 野間は少し躊躇したが、うなぎをつかむ手つきで、成宮の首を絞め始めた先輩を見て、迷わず外に出た。

 先に歩く藤さんに追いついて、横に並ぶ。藤さんは目で確認することなく、そのまま話した。
 「さっき、師長が言おうとしたことってさぁ。何か知りたい?」
 「あっ、はい知りたいです!」
 野間がそう答えると、ニヤッと笑って言った。
 「私が山崎先生の頭をはたいたことよ。」
 「え~〜!! 山崎先生の頭を!?」
 「うふふっ。そうよ。あの先生、今は偉そうだけど、私よりも五つ年下なのよ。」
 「へぇ~。そうなんですかぁ。」
 「そうそう。この病院に入ってきて、まだ何年も経ってなかったかしら。ESで呼吸が止まった患者を見て固まっちゃってね。早く蘇生をしなさいってはたいてやったのよ。うふふっ。まぁ勢いよね。」
 「はははっ、なるほど。」
 「それ以来、仲良くなっちゃってさ。うふふっ。今日もあなたが来る前に飲んでいたのよ。あの店で。」
 「そうだったんですかぁ。一緒に飲めなくて残念でした。」
 そう言うと、藤さんは歩きながら考え込むように無口になった。その雰囲気に押されて、野間も黙って歩く。
 何か悪いこと言ったっけなぁと考えていると、藤さんが口を開いた。
 「いや、会わなくてよかったのよ。私も山崎先生もあの店じゃあ、いくら飲んでも酔えないんだから。」
 「あの店では酔えない? 酔えないのにつけにしてもらえるぐらい常連なんですか?」
 「そうよ。」
 野間が首をひねっていると、一息ついてから、藤さんが言った。
 「あの店は、私達が死なせてしまった患者の実家なのよ。そして、あの年配の女性が母親よ。」
 「ええーーー!!!」
 野間は思わず叫んでいた。


(つづく)




 



2015年4月14日火曜日

精神保健福祉士と自由を望まぬ人49

 「けど、ドクターの指示があってのことではないですか?」
 「いえ。私達もそれが正しいと思っていたわ。確かに、落ち着く患者が結構いたのよ。」
 クイッと熱燗を空けてから続ける。
 「あの頃の精神病院ってさぁ、荒れてたのよ。状態の悪い患者が多くてさぁ。看護者にも向かってくんのよ。もちろん、他の患者にも向かっていくわ。そんなことになったら、冷静に話し合いなんて場合じゃない。自分の身を守るためにも、他の患者を助けるためにも躊躇してらんないわ。私は飛びついて、山嵐を繰り出したわ。倒してからの袈裟固への移行は天下一品よ。そこらの軍人あがりの看護人にもひけを取らなかったわ。」
 「軍人あがり、ですか?」
 「そうよ。昔の精神病院はそういう人、多かったのよ。ヤクザあがりもいたわね。」
 野間は驚いた。それだけ精神病院の看護師は過酷な状況で働いていたということだろうか。状態の悪い患者の暴力。それに応じるための暴力。力には力で応じるしかなかった。看護師には看護師の正義があった。
 それは、野間には想像するしかないが、藤さんの話を聞いているとそう信じられる気がする。
 
 藤さんは続けた。
 「だから、暴れる患者には、いいえ、暴れる患者だからこそ押さえつけてESをやったのよ。もちろん、先生の指示があったからだけどね。けど、必死だった。拷問だと怒鳴られても、怖がられてもね。鬼で結構よっなんて思ってやってたわ。」
 野間はゆっくりとうなづいた。
 「けどね。けどこうして年取ってくると、あの時に必死でやっていたことが本当に良かったのか。それを考えちゃうのよね。」
 ふと顔を上げ、野間を見ながら続ける。
 「あんた達みたいな大学出の学士さん達から見ると、馬鹿なことしたと思うんでしょうね。ふふふ。」
 そう言って、鼻で笑った。
 野間は何と返していいのか迷った。
 すると、酔いが回っていい調子の師長が割り込んできた。
 「私がナースになったのは薬が出た時期だったけど、あの時の藤さん覚えてるわ。ある事件があって、それはかっこよかったのよお。うふふ。」
 師長が意地悪そうに笑った。
 藤さんが慌てて「ちょっとぉ。師長。変なこと言わないでよ。」と言った。
 

(つづく)


 

2015年4月6日月曜日

精神保健福祉士と自由を望まぬ人48

 「さあ飲もう飲もう。支払いは心配しないでくださいね。皆さん。」
 そう言って満面の笑みで男物の財布をかかげた。そして、いたずらっぽく伏せている成宮を指差した。
 みんなが苦笑いする中、先輩が上機嫌で注文を取る。

 先輩のテンションはいつもの通り、あっという間に他を巻き込んで盛り上げる。
 「ねぇ野間君。藤さんって年齢の割に体がしっかりしていると思わない?」
 「えっと、そうですね。そういえば。」
 「藤さんってさぁ、柔道の国体選手だったんだよ。」
 「へー。」
 「得意技が」
 そう言って、すっと割り箸をマイクに見立てて、藤さんに向ける。
 「山嵐!」
 「あだ名が」
 「ヤワラちゃん!」
 「ビンゴー!!」
 藤さんもまんざらではない様子で、山嵐の投げ方の解説を師長にしている。

 あっという間に、藤さんも酔いが回ってきているようだ。
 すると、藤さんから、隣に座っている野間に話しかけてきた。
 「そういえばさぁ、病棟の倉庫の古いカルテ見たでしょ。あれどうだったの?」
 野間は少しドキッとしたが、飲めない酒に酔っていて思ったことを口にしてしまった。
 「いや〜。ひどいなぁと思いましたよ。ESのゴム印だらけでしたからね。閉鎖の山田さんなんか、拷問だって言ってましたよ。」
 言った後ではっとした。藤さんが固まっていたからだ。
 「あっ、いや拷問というか、」
 「いえ。いいのよ。患者からすれば、まさしく拷問よね。」


(つづく)



 

2015年4月3日金曜日

精神保健福祉士と自由を望まぬ人47

 野間は酒は得意ではないし、先輩の酒豪ぶりを知っていたので躊躇した。それでも、何か答えが出ればという気持ちで行くことにした。
 「二人だけじゃないですよね。」
 そう聞くと、「何言っちゃってんのよ。マンツーマンよ! マンツーマン!」そうニヤニヤして言った。
野間が驚いていると、「うそうそ。あと何人か来るわよ。」と。
 「あと何人かとは誰ですか?」
 「えっと。これから招集をかけるわ。」
 そう言って相談室を飛び出して行った。

 待ち合わせの店に着いた。如何にも古くからあるような、古びた小さな焼き鳥屋。
 中に入ると、腰の曲がったおばあちゃんが笑顔で迎えてくれた。
 通されたのは奥の畳部屋の個室。
 開けられたふすまの奥には、机に伏せた成宮先生。すでにできあがっている様子。そして、その向かいにいたのはナースの藤さんだ。
 野間は、成宮先生は予想通りだったが、藤さんにはびっくりした。それを察したのか藤さんから言ってきた。
 「私が飲んでたら勝手に加わってきただけよ。こんな飲兵衛医師と一緒にしないで。」
 黒人歌手さながらのこんもりしたパーマ頭をゆらしながら弁明している。
 野間が苦笑いしながら隣に座ろうとすると、「さて、あとはみんなでやってよ。わたしゃ帰るよ。」と言って立ち上がった。
 すると、そこへ「呼ばれて飛び出てジャジャジャジャーン!」と先輩が入ってきた。
 藤さんが固まった。それは、先輩の奥に師長が見えたからだ。
 「あらー、師長?!」
 「あら藤さん。こんにちは。一緒に飲めてうれしいわ。」
 そう言って腰を下ろした。

 藤さんは腰を下ろさざるを得なかった。年寄りは礼儀を重んじる。藤さんは、師長を差し置いて帰るに帰れなくなったのだ。

(つづく)



 

2015年3月8日日曜日

精神保健福祉士と自由を望まぬ人46

 野間は誘われるまま、星原について、作業療法棟に向かった。
 ふらふらと歩きながら、野間は話したが、その話題にもっと触れたいような、触れたくないような、躊躇していた。
 しかし、スタッフルームに着くと、星原は躊躇なかった。
 「なんだよ。そんなことか。病院は加害者だよ。そりゃあ、患者から見れば拷問だと受け取った奴もいるだろうよ。そういうことをしていたんだからな。それを否定することはできない。ただし、過去の病院がそうだったのであって俺達じゃねえよ。そうだろ?」
 そう言い放った。
 さらに、その問いに応じられずにいる野間を見かねて、更に言った。
 「過去の偉そうなドクター連中がやったことだ。俺達はちゃんと患者に向き合っている。患者のためを思ってやってるじゃねえか。俺もお前もな。」
 励まそうとしていることは分かる。ありがたいと思う。
 野間は「分かったよ。ありがとう。」そう言って、部屋を出た。

 しかし、何だか腑に落ちない。
 単に過去のドクターや看護師が悪い奴らだったということだろうか。
 確かに、何の科学的根拠もないのに頭に電気を流して失神させるなんて、正気とは思えない。それも、嫌がる患者を押さえつけてである。
 そもそも、ドクターも看護師も、人を助けたくてその道を志したはずだ。それがなぜ、治療だからということだけで、そこまでできるのだろうか。
 そうこうしているうちに、いつのまにか夕方になっていた。野間は相談室に向かった。

 相談室に着くと、元気な声が飛んできた。
 「おかえりンゴー!」
 先輩だ。相変わらずのテンションでちょっとひきながら。
 「帰りました。」と応えた。
 すると、先輩は嬉しそうに近づいてきて「ねぇねぇ。スパイ大作戦はどうだった? 獅子丸って命名された? それとも、ケムマキ?」と聞いてきた。山田さんのことだ。
 野間は少し躊躇したが、拷問の話をした。それから、星原が過去の悪いドクターのやったことで自分たちには関係ないと話したが、どうも納得できていないということも。
 そして、ウンウンと聞いてくれている先輩に尋ねた。
 「先輩はどう思いますか?」
 うーん。と考え、「そりゃあさあ、続きは飲み屋で話そうよ。たまにはいいでしょう。」そう笑った。

(つづく)



 

2015年2月26日木曜日

精神保健福祉士と自由を望まぬ人45

 野間が「仲間がいなかった?」と返すと山田が答えた。
 「いや。いたこともある。」
 「それは小林さんですか?」
 野間は、ようやく小林に辿り着いた気がして、身を乗り出した。
 山田は不思議そうにしながらも、そうだと答えた。
 ただし、スパイのコードネームであって、本名は知らないと付け加えた。
 野間はかまわず尋ねる。
 「それで、小林さんとはどんなことをしていたんですか?」
 すると、山田は、眉をひそめながら「電パチの拷問だよ。」と静かに語った。
 「拷問、ですか。」
 「ああ。そうだ。俺達はスパイとして捕まって、ここで拷問を受けていた。何度、電パチで殺されると思ったか分からないよ。しかしな、俺達は、それを耐え続けた。」
 そして、誇らしげに顔を上げて、「俺達は戦友だ。」と言った。

 野間は複雑な気持ちだった。ESは治療を目的に行われたが、受ける患者にとっては、やはり恐怖の対象でしかなかったのだろうか。
 ここで、野間には疑問が生まれた。
 山田さんが信じているスパイの妄想は、もともと持っていたものだろうか。それとも、精神科病院に入院したことで起こったのだろうかということだ。
 もしかして、精神科病院が妄想を作り出したとしたら。それは、病院が加害者であることを指し示している。そう考えると寒気が走った。
 知りたくない気持ちと知りたい気持ち。それが交互に押し寄せる。
 野間は耐えきれず、「あっ時間だ!」そう言って、慌てて病室を後にした。

 小走りで病棟の廊下を抜け、ガチャガチャとせわしなく入口の鍵を開けて外に出る。そこで、ようやく息を吐いた。
 すると急に声をかけられた。驚いて顔を上げると星原だ。
 「なんだよ。鳩が豆鉄砲入りのゲロを投げつけられたような顔しやがって。」


(つづく)




 

2015年2月23日月曜日

精神保健福祉士と自由を望まぬ人44

 すると、山田はスッと立ち上がり、自室に向かって歩いて行ったので、野間もとりあえずついていくことにした。

 野間が部屋に入ると、山田が笑顔で待っていた。
 「よう! 新人! 分かったかい?」
 「えっと、あの」
 野間が言いよどんでいると、すかさず山田が言った。
 「はっはっは。まあ最初は分からなくて無理ねえよ。」
 野間はホッとした。
 「いいか。今日、看護人がいただろ。」
 「看護人? 看護師のことですか?」
 「は? 何言ってんだよ。女は看護婦で、男は看護人だろうよ。」
 「ああ。そうですね。それで、看護人がどうしたんですか?」
 「あいつの靴下だ。」
 「靴下?」
 「おう。そうよ。看護人の靴下が赤い時は電パチやるっていうサインだ。」
 「電パチ?」
 「は? お前そんなことも知らないのか?! 電気ショックだよ。電気ショック。あいつらはESって暗号で言ってるけどな。俺は知ってんだよ。俺はスパイの40年選手だからな。」
 そう言って、山田は楽しそうに笑った。

 野間は緊張した。急に、苦手な話題のESの話が出てきたからである。
 しかし、山田はかまわず続ける。
 「いいかい、新人。よく聞くんだ。看護人が赤い靴下を履いている時は、この中の誰かが電パチを受ける。青の時は不潔部屋だ。」
 「不潔部屋?」
 「あるだろ、看護人の詰所の後ろに。」
 「ああ、保護室のことですか?」
 「保護室? なんだそれ。不潔部屋は不潔部屋だろうよ。何言ってんだよ。まあいいや。いいか、けど看護婦がいると厄介なんだ。看護婦が一人と看護人一人だと、靴下の色は紫が電パチだ。それから、看護人が二人だと、」
 山田が多弁に話し続ける。

 野間は、矢継ぎ早に話される、その妄想話に圧倒された。しかし、それと同時に、靴下の話は妄想だと指摘したい衝動に駆られた。今は、ESもほとんど行われていないし、看護人は看護師、不潔部屋は保護室なんだと。それは妄想なんだと。
 けど、先輩の言った室長語録が耳に残っていた。クライエントの世界に飛び込めと。
 野間は思いとどまり、また山田の話に耳を傾けた。

 どのくらい時間が経っただろうか。ふと、山田の話が止まった。
 野間が、はっと顔を向けると、山田が言った。
 「いやぁ。うれしいよ。こうして話を聞いてくれる仲間がいて。」
 野間はドキッとした。それまでの妄想の発言ではなく、正気の本心に聞こえたからだ。


(つづく)