2014年6月30日月曜日

精神保健福祉士と自由を望まぬ人17

 逃げる山崎先生を捕まえてどうなるかは分からないが、とにかく、捕まえるしかない。野間はそう思った。
 先輩が、うれしそうに差し出す投網を押しのけ、病棟に向かう。

 病棟に着くと、患者が誰もいない。がらんとしている。
 一人モップがけをしているヘルパーさんに尋ねると、みんなで売店に買い物に出たらしい。
 野間もとりあえず売店に向かった。

 売店に着くと、店の入り口前のテラスに患者のみんなが座っている。売店が小さいので、そこで待って、交代で数人が店に入る。看護師が手慣れた様子で誘導している。
 その間、離れると目が届きにくいので、患者さんは集められ固まって座って待っている。

 それを見て、野間はふと思った。これは森みたいだと。
 そして、森の中に目を凝らすと、さっと後ろの方に走り去る人影のようなものを見た気がした。慌てて、近くの看護師に伝えた。
 「あれ? 杉さん! いま後ろの方にいた患者さんがどこかに行ったんじゃありませんか? 誰か走り去ったような。」
 「えっ! それは大変だわ!」
 杉さんが慌てて人数を数えだした。
 野間は後ろの方に走って、探したが見当たらない。近くの患者にも聞いてみる。
 「いま、ここにいた患者さんは誰ですか? いなくなりましたよね。」
 「…え? ここに患者はいなかったよ。」
 そう言って、不思議そうな顔をした。嘘を行っているようではない。
 あれ?っと思っていると、杉さんが「やだ野間さん! びっくりさせないでよ。ちゃんとみんないるわよ。も~〜。」と言ってバシバシとはたいてきた。
 野間はとりあえず謝って、その場を去った。



(つづく)




 

2014年6月27日金曜日

精神保健福祉士と自由を望まぬ人16

 結局、その日の夕方まで捕まらなかった。しょうがないので、帰宅前に立ち寄る医局前で待つことにした。
 待っていると、ゆうゆうと山崎先生があらわれた。
 「おっ。野間君じゃないですか。どうしたの?」
 白々しいと思いながらも、そこには触れずに野間は答えた。
 「いや。あの。病棟でのグループワークのことですが。」
 「おおっ! そうだったな。」
 わざとらしいオーバーリアクション。
 「そのことは明日にしてよ。今日は、忙しかったんだよねぇ。あはっあはっ!」
 病棟にも来ずに何が忙しかったのやら。しかし、その証拠もない。逃げてるんじゃないかと迫っても、それを認めるわけもない。
 野間は、しょうがないので、その場は諦めた。

 しかし、次の日も、その次の日も、またその次の日も同じだった。
 「腹が痛い」「研修に行く」「家で飼ってる亀が危篤」などなど、帰り際は、様々な理由をつけて帰ってしまう。
 しかも、ペットまで理由に入れられると、他にも際限なく理由は出てきそうだ。
 かといって、日中にどこにいるのか分からない。
 野間は、さては、さぼって院外に出ているんじゃないだろうかと思った。
 そこで、先輩に聞くと、「院内にいるわよ。」と即答。
 「あれ? 先輩は知っているんですか? 山崎先生にがどこに隠れているのか。」
 びっくりして聞くと。
 「そりゃ知ってるわよ。みんな苦労するんだから。あのウナギ犬。あの室長だってそうだったのよ。」
 にこにこと楽しそうに言った。野間は、ダメだろうとは思いながら、一応聞いてみた。
 「先輩。場所を教えてくれたりは。。。」
 先輩はニヤリと笑った。
 「。。。しないですね。はい。了解です。」
 「ただし、ヒントはあげるわよ。いい?」
 「あっ。はい。お願いします。」
 「では、迷える子羊よ。室長語録を授けよう。しかとお聞きなさい。えへん。」
 先輩は、うやうやしく一呼吸おいてから話した。
 「木を隠すなら森へ」
 あれ?野間は、やはりよくわらない。そこで、本題から外れるが疑問をぶつけてみた。
 「ちょっと聞いてもいいですか?」
 「何よぉ。ヒントはあげたでしょ!」
 「あっ。いやいやそのことじゃなくて。純粋な疑問なんですが、先輩はなぜ直接答えを教えてくれないんですか? いや文句ではなくて純粋な疑問です。」
 怒るかなっと思ったが、先輩は冷静に答えてくれた。
 「それはね。答えを教えるのは簡単だけど、簡単なものって中身がスカスカなのよね。」
 「中身がスカスカ、ですかぁ」
 「そうそう。スカスカ。精神保健福祉士って悩むのが仕事、みたいなところがあるでしょ。だから、単に答えを教えるのは、スカスカ指導ってことになるのよ。なんだか、すかしっ屁みたいよね。すかしっ屁ってさぁ、した方は気持ちいいのよね。うふふ。室長が言ってたわ。やだぁ。」
 自分で言っといて、恥ずかしいのかくねくねしだした。

 野間は、それを聞いて、分かったような分からないような。けどまあ、単に面白がっているわけではないのだとは思った。
 そう思っていると、先輩が「もちろん。野間君の反応が面白いっていうのもちょっとはあるかもね。ちょっとはねぇ。私も人間だからさ。」と言った。
 野間は、真面目に言おうとしているが、目が笑ってしまっている先輩を見て、絶対「ちょっと」じゃないな、と思った。



(つづく)




 

2014年6月20日金曜日

精神保健福祉士と自由を望まぬ人15

 午後に、病棟で山崎先生を待った。
 ナースステーションで、午前中の先生の反応を伝えたら、師長は苦い笑いの微妙な顔をした。
 理由を聞くと、「まあそのうち分かるわよ。」とのこと。
 今日は、予定では午後はずっと病棟で入院患者の診察や看護師らとの意見交換などを行うはずだ。しかし、なかなか病棟にこない。
 うーん、とうなっていると、看護師の藤さんがナースステーションに入ってきた。
 「あら。野間さん。何してんの?」
 「いや〜。山崎先生を待っているんです。相談したいことがあって。けど、来ないんですよねぇ。いつもならとっくに来ている時間だと思うんですけど。」
 「ふーん。もしかして、相談したいことがあるって言っちゃった?すでに。」
 「えっ。朝に言いましたよ。けどどうしてですか?」
 「なら逃げるわよ。あのウナギ犬。」
 近くで聞いていた師長が、やだ藤さん、と笑っている。
 野間は、まさかと思った。半信半疑でいると、藤さんが続けた。
 「だってさぁ。いま病棟来るとき、逃げるように立ち去る山崎先生とすれ違ったわよ。」
 聞いていた師長は、納得したようにうなずいていた。
 しかし、野間は、信じられなかった。山崎先生はもう70歳も近いベテランの精神科医だ。嫌だからって逃げるか? 子供じゃないんだから。
 とにかく、野間は、医局に向かった。

 医局は病棟とは別棟にある。
 入ると誰もいない。と思ったら奥の机に伏せていた人が顔を上げた。
 「おう。野間君じゃないか。どうした?」
 いたのはナル先生だ。
 「ナル」はもちろん先輩がつけたあだ名だ。ナルシストなのと、よく寝るので睡眠障害のナルコレプシーをかけて、先輩がそうよんでいる。
 「先生。いらしたんですか。」
 「おう。昨日飲み過ぎた。二日酔いだよ。だから、お前の先輩には気づかれるなよ。分かると喜んでちょっかい出しに来るからなぁ。」
 「そうですか。」
 さすが先輩、かな?
 「っで何だって?」
 「ああ。いやじつは、山崎先生を探しているんです。相談したいことがあって。」
 二日酔いで反応が遅いが、先生は思いついたように言った。
 「おお!そういうことかぁ。朝、先生に会ったら、珍しくスニーカーはいてるんだよ。何でか聞いたら、ニヤニヤ笑って、アキレス腱のばして出ていったよ。はっはっは!
 野間は目が点になった。仕事が嫌で逃げ回っているというのは、どうやら本当らしい。

(つづく)



 

2014年6月16日月曜日

精神保健福祉士と自由を望まぬ人14

 山崎先生を探す。しかし、やはり見つからない。外来診察の無い時間帯は見つけるのが難しいので、次の日を待つことにした。
 次の日、午前中に外来診察の予定がある。野間は、開始の9時より早く、8時半には外来受付に入って待った。
 外来の看護師たちには、山崎先生に話があるので待たせて欲しいと話すと、捕まえて話すのは無理だろうと笑われた。

 しばらくして、その通りになった。ようやく山崎先生が来たのは、9時を過ぎていたのだ。
 バタバタと自分の担当の診察室に入る先生に話しかける余裕はない。ダメかと諦めかけた時、通りすがりに、先生が急に足を止めた。
 「あれ? 野間君。珍しいですね。どうしたの?」
 野間は、意表を突かれたが答えた。
 「じつは、先生をお待ちしていたんです。」
 「うん? 何か急ぎの用事かい?」
 「あっ。急ぎというほどじゃありませんので、また次回で。」
 先生は完全に体を向き直して、野間に言った。
 「気になるねぇ。本当に時間がないけど、ちょっとだけでいいから何のことか教えて。」
 それならと思い、野間は、とりあえず早口で伝えた。
 「じつは、病棟で長期の方たちを対象にしたグループワークを始めたいと思っているんです。」
 先生の動きが一瞬止まった。そして、「なるほど分かりました。それは僕も何かやるの?」と聞いてきた。
 野間は、「はい。病気の話をしてもらいたいと思っています。」と答えた。
 すると、先生は「なるほど。それは大事な試みだね。じゃあ時間無いから後でね。」と言って診察室に向かった。

 野間は、おっと思った。確かに、大事な試みだと言った。面倒くさいから嫌だと言われるかと思っていたから拍子抜けした感じ。
 先輩のウナギ犬話を聞かされていたので、山崎先生に対して、知らずに偏見を持っていたのかもしれない。そう反省した。

 そこで、相談室に戻って先輩にも言った。
 「先輩。山崎先生にグループワークの話しましたけど、大事な試みだねって言われましたよ。何だか、先輩の話聞いてたからすごい面倒くさがりな先生かと思ってましたよ。」
 先輩は、それを聞いて、「ぷぷぷぷぷっ」と笑いをこらえだした。そして、そのまま「そっかぁ。よかったね。頑張れ、、ぷぷぷぷぷっ」と。
 野間が何がおかしいのか聞いても、いいからいいから、としか答えない。
 室長に振ると、「おっと、悪いですが行かなきゃ」と出ていった。


(つづく)



 

2014年6月9日月曜日

精神保健福祉士と自由を望まぬ人13

 次の日。
 野間は、病棟の朝の申し送り後、ナースステーションで二人きりになった時に、師長に話してみることにした。
 「師長さん。ちょっと相談があるんですが。」
 「ん? なあに?」
 「じつは、長く入院している人たちを対象に、病棟でグループワークをやってみたいと思っているんです。」
 「グループワーク?」
 「はい。集団療法とか、集団精神療法とか言ったりもしますが、長期入院患者に退院の意欲を持ってもらったり、地域生活の知識を持ってもらうことを目的にしています。そのために、ドクターによる病気の話とか、看護師による健康的な生活の話とか、心理士による心の持ち方の話とか、薬剤師による服薬の話とか、作業療法士による家事の話とか、精神保健福祉士による社会資源の話とか。そんな知識提供の話と、毎回の患者同士の意見交換の時間を持つんです。不安や悩みを出し合えるように。どうでしょう。」
 「う~ん。それってさぁ。誰を考えてるの? 入院して20年も30年も経ってるような人? 患者を不安にさせるだけなんじゃないかしら? それは困るわよ。」
 やはりそうきたか。野間は、師長がそう言ってくるのを、ある程度予想していた。そのため、説得する言葉を用意していた。
 「確かに、それは心配ですよね。けど、この取り組みは、うちの病院ではまだどこの病棟もやっていない先進的な取り組みなんです。他の病院を見ても、やっている所は少ないんですよねぇ〜。」
 師長の表情が変わった。
 「えっと。野間さん。それほんとかしら? 松田師長の病棟も?」
 師長の眉毛がぴくっと動いた。野間は、よしっと思った。
 「もちろんです。必ずしも退院を目指すということではなく、グループワークは患者のリハビリに非常に効果的だと言われています。しかし、誰もがやれることではありません。相当にリーダーシップのある師長の病棟じゃないと無理でしょうね。あの松田師長もまだやれていません。」
「松田師長もやれていない。ふ~ん。」
 明らかに興味がある様子。なんせ表情に出さないようにしているが、細かく足の貧乏ゆすりが始まった。
 「えっとぉ。まぁ、絶対退院ということではなくリハビリ目的ならいいかもね。そうねぇ。うんうん。」
 野間が、決定だな、と思っていると、はたと師長の貧乏ゆすりが止まった。あれっと思っていると師長が口を開いた。
 「ただ、先生が何と言うかよねぇ。」

 先生とは、ここの病棟担当医の山崎先生のことだ。勤続40年以上のベテラン医師で、あだ名はウナギ犬。そう呼んでいるのは先輩だけだが。
 とにかく、するりするりと仕事をすり抜ける名人。顔もウナギっぽいが、そういう性格なので先輩は陰でそう呼んでいる。最近は、そのあだ名がナースにも伝染し始めているが。
 このウナギ犬、捕まえるのがまずは大変。捕まえても、患者の退院支援のような面倒な事には絶対に近寄らない。それに、へらへらと「患者はここでこのまま死ぬのが幸せなんですよ~。あはっあはっ」と公言してはばからない。
 とにかく、野間は、師長に、自分から山崎先生に説明させて欲しいと了解を得た。


(つづく)



2014年6月3日火曜日

精神保健福祉士と自由を望まぬ人12

 病棟に着くと、老齢の看護師がいた。
 「藤さん。ちょっとお聞きしたいことが。」
 声をかけると、看護師はちょっと慌てていた。警戒してもいるようにも見える。
 「なに、なに? なによ。」
 「あの」
 話し出そうとした時、遮るようにして藤さんが言った。
 「古いカルテのことなら、私は忘れちゃったわよ。もう年なんだからぁ。もっと若い人に聞いてちょうだい。」
 ピシャリと言い放って後ろを向いた。
 野間は粘ろうと思って言った。
 「いや。昔のことじゃなくていいんです。1年前ぐらいに見たESのことなんです。」
 藤さんは、予期していたかのように、すぐに答えた。
 「もう忘れちゃったわよ。」
 「えっ?」
 「はい。おしまいおしまい。忙しいのよ。私。」
 そう言って、追い払われた。

 こう強硬だと野間には何も言えない。
 ESのことは心に引っかかっているが、そこにこだわっていては前に進めないような気もする。
 正直、ESの理解をしなければ、絶対に小林さんの退院を進められないとまでは思ってはいなかった
 野間は、しばらく間を置いてから、また聞いてみることにした。

 長期入院患者の退院支援について、野間には、じつは試したいことがあった。
 それは、グループワークだ。病状的に退院可能な患者を対象にしたグループを作り、働きかける。
 例えば、医者による病気の話や、栄養士による栄養指導、作業療法士による調理や食品購入、そして、精神保健福祉士による社会資源の説明など。
 このような知識提供とともに、患者相互の話し合いで不安要素について出し合い、支え合いながら解消していく。
 こうして、長期入院患者の退院への意欲を高めるのだ。


(つづく)