2020年1月28日火曜日

精神保健福祉士と自由を望まぬ人9

 その日は、あえてその病棟は避けて、医療相談室での事務作業で時間を過ごした。
 野間はまだ、あのカルテの記録をどう捉えていいのかわからずにいたからだ。

 夕方になり、「おつかレンコン、おつかレンコン」っと先輩が帰ってきた。
 野間は、カルテのことを言おうか迷った。
 しかし、カルテを見て、怖くなって逃げ帰ってきたなんてやっぱり言い出せない。

 野間が、無意識に、「う〜〜ん。」とうなっていると、嬉しそうに近寄ってきた。
 「悩める青年よ。いいね。いいよそのうなりっぷり。いっぱしの精神保健福祉士って感じするねぇ。」
 先輩は、そう言って笑った。
 野間は、自分がうなっているのに気づいていなかったので、恥ずかしくなった。
 それを見て、先輩が続けた。
 「よろしい。今日は気分もいいし、室長語録を授けてしんぜよう。
 そう言って、話し始めた。
 「おほん。人を支援しようとするとき、悩んでしまうのは当然。完全に他人を理解できる人なんていないからね。むしろ、悩まない支援者は、弱くて独善的で未熟な支援者よ。なぜなら、そんな支援者は、必然的にクライエントを見下してしまうゲス野郎だからだ! オーイェー!」
 のってきたらしい。
 「つまり、飛べない豚、もとい、悩まない豚はただの豚だってことだぜ〜! 分かったかいフィオ。それじゃあ俺はカーチスの野郎と一戦交えてくるぜ!」

 先輩は、ここまで言って振り返り、引き気味の野間を見て正気に戻ったのか。振り上げていた腕をおろし、椅子にゆっくりと腰を下ろした。
 そして、落ち着いた声で「えっと。それからね。等身大の自分を受け入れなさい。」一息ついて、「以上、愛の伝道師が送る室長語録でした。」そう言って、微笑んだ。

 等身大の自分を受け入れる。確かにそうだ、野間は納得した。
 ありのまま先輩に話してみようと思った。


(つづく)


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2020年1月21日火曜日

精神保健福祉士と自由を望まぬ人8

 
 倉庫に入るとあまり開けないからか、ずいぶんほこりっぽい。
 右手下を見ると、言われたとおりに背の低い棚があった。上や前には、ホコリ被ったダンボールがたくさん。前のダンボールをどかし、ほこりを払い、腰をかがめて覗き込む。中には、ぎっしりとカルテらしきものが詰まっているのが見えた。しかも無造作に、向きもバラバラに寝かして詰め込まれているので、名前が書かれているであろう背表紙が見えない。それに、背表紙が見えていても名前がないものも多い。
 貴重な記録として残しているというよりは、とりあえずしまっているといった感じだ。
 この病棟に入院している全ての患者のカルテなのだろうか。いやそれにしては多すぎる。

 野間は、とりあえず手前にある一冊を取り出してみることにした。
 随分と分厚く、片手では到底つかみきれない。
 何とか引っ張り出して、近くのダンボールの上に乗せた。
 そのカルテの束は、紐で荷造り風に十文字に縛られている。即席で作られたような背表紙を見ると、マジックで「山田太郎、昭和31年〜昭和62年」とだけ書いてある。
 昭和31年に入院して、昭和62年に退院したということだろうか。
 確かに、この患者はこの病棟にはいない。そう思いながら、野間は自分が少し興奮しているのを感じた。
 なぜなら、昭和30年代といえば、日本に抗精神病薬のクロルプロマジンが導入され、薬物療法が始められた時期だからだ。薬物療法は、精神科医療を一変させるほどの進歩をもたらした。
 それまで、大きな効果のある治療法がほとんど無く、精神科医療は困難を極めていた。薬物療法は現代に続く、近代精神科医療の出発点とも言えよう。
 この患者は、その大きな転換点に入院していたということだ。もちろん、野間も全く知らないわけではない。精神保健福祉士になるための授業で歴史を学んだことはある。しかし、やはりそれは教科書に書けるだけのきれいな情報でしかない。
 つまり、このカルテには大きな歴史の真実が書かれてあると言っても言い過ぎではないだろう。

 野間は、ドキドキと期待しながら、紐を解いた。
 1番表にある新しい紙をはがすと、茶色く変色した表紙が出てきた。触るとポロポロと崩れてしまいそう。
 時代の経過を感じさせるとともに、期待も高まる。
 一枚をそっとめくるとフェイスシート部分で、患者の顔写真や住所、生年月日など書かれている。それも筆でカタカナ書きだ。さらに期待が高まる。

 しかし、パラパラと数枚めくっところで、その期待は一気に冷めた。それどころか、無意識に眉間にシワがより、体が硬直する。
 野間は、反射的に閉じてしまった。慌てて紐で結び直して、元の所にしまい、逃げるように倉庫を出た。「急ぐので」そう言い残して、病棟を駆け出た。
 野間は、とにかく、一刻も早く遠ざかりたい。その一心だった。

(つづく)
 
 
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