2014年7月25日金曜日

精神保健福祉士と自由を望まぬ人23

 精神保健福祉士は二重拘束を受ける存在だ。精神障害者の側に立って、精神障害者のために働くということと、病院の職員として、病院のために働くということ。
 この二つの立場であるがゆえに、相反することを求められることがある。
 その最たるものが、患者の退院支援だ。

 野間は、岩田に愛想笑いを返して答えた。
 「はい。忙しいですね。やらなきゃいけないことが雪崩のように押し寄せてきます。」
 「そうか。雪崩のように、は良いね。そういえば、君のボスが相談室に人を増やしてくれって言ってきてたなあ。うちも経営が楽じゃないからさ。苦しいんだけど、入院患者が減ったりしなけりゃあ大丈夫だろうと思うよ。減らなきゃあね。」
 野間ははっとした。野間が長期入院患者の退院促進を意図したグループワークを始めようとした矢先。それを牽制するような発言。
 さらに、「民間病院は慈善事業じゃないんだから。」といつもの決まり文句も出た。
 野間は、面倒なので、軽く流すことにした。
 「そうですね。」そう言って、一方的に机に向かった。
 岩田は、一呼吸おいて、釘を指すように「病院のためによろしく。」と言い放って出ていった。

 ふっと一息つくと、ぬっと隣の机の下から先輩が出てきた。
 「やっと出ていったか。」
 「わっ!どこにいたんですか!」びっくりして野間が言うと、「ここにいました」といたずらっぽく笑った。
 「だって、あのソロバン野郎が相談室の中を覗き込むからさぁ。隠れたのよ」
 「そうでしたか。けど私が入ってきたら声はかけてもいいじゃないですか」
 「え~~っ。それじゃつまらないじゃない。てへぺろ。それに、ソロバン野郎が入って来たから出られなかったのよぉ。」


(つづく)



 

2014年7月22日火曜日

精神保健福祉士と自由を望まぬ人22

 野間は、スッキリとしたわけではない。複雑な気持ち。山崎が協力すると言ったわけでもない。けど、前に進む力をもらった気がした。
 よしっと前を向いて歩き始めた。

 相談室に戻り、グループワークの具体的な企画案を考え始めた。
 すると、珍しく事務長の岩田が訪ねてきた。
 「おう。じゃまするよ。忙しそうだね。野間君。」

 岩田事務長は、50代の男性で、背が高く細身で猫背。よく眉間にシワを寄せて、神経質そうな顔で歩いている。
 野間は、病院の採用試験の面接で初めて、この岩田に会った。
 その時、「精神保健福祉士にも病院の経営のことを考えてもらわないといけないから、採用になったらそのつもりで考えてもらえますか?」と質問されたのが印象に残っている。
 もちろん、その時は「はい。もちろんです。考えます!」と答えた。答えはしたが、いやらしい質問する人だなぁと思っていた。
 なぜなら、精神科病院の一番の収入源は入院患者の医療費だ。精神保健福祉士は、精神科病院に長期間入院している患者の退院を促進するために国家資格を与えられた。その精神保健福祉士に経営を考えろと言うのは、つまりあんまり退院させるなよ、ということだ。それを採用試験を受ける弱い立場の精神保健福祉士に言ったわけだ。当然、嫌とは言えない。相手に選択の余地を与えずに、立場を利用して釘を刺したのだ。
 精神保健福祉士として頑張れば頑張るほど、必然的に対立してしまう相手。それが事務長だと言っても言い過ぎではない。

(つづく)



 

2014年7月17日木曜日

精神保健福祉士と自由を望まぬ人21

 野間は、なんの反応もできず聞き入っていた。

 「あはっあはっあはっ。病院を辞める覚悟で、他の先輩や院長に言ったら、医者なら、そんなことは誰にでもあるから気にするなと言われたよ。事故だとね。けど、私の責任だよね。それ以来、ESの機械を手にすることができなくなった。手が震えてね。どうしたらESをやらずにすり抜けられるか、そればっかりを考えてた。」
 野間は聞きながら、山崎先生自身が支援を必要としていると感じた。患者に対してそうしているように、野間は、じっと傾聴の姿勢を示した。
 山崎は続けた。
 「私は仕事をしない怠け者になることにしたんだよ。いや、そうしかなれなかった。」
 野間は、そっと伝えた。
 「そうでしたか。」
 「あはっあはっあはっ。」
 「けど、今は薬物療法が治療の中心ですから、ESをやらなくてもいいのではありませんか。」
 「始まったね。薬物療法は、黒船が来たみたいなもんでね。価値観が一変した。」
 「先生も薬物療法に?」
 「いや。当たり前に処方はするけどね。患者を治してやろうと熱くは思えない。私は怠け者だよ。ここでそれを全うすることが、せめてもの。。。」

 野間には、最後は聞き取れなかったが、何を言ったのかは分かる。
 何も励まさず、何も慰めず、野間はただ聞いていた。
 すると、急に山崎が口を開いた。
 「あはっあはっあはっ。ということでさ。私は何もしないよ。ただし、邪魔もしない。それでいいよね。」
 山崎は、満面の笑顔で言った。
 野間は、なんだかちょっと涙がにじみそうなのをこらえながら、はい!と返事をした。


(つづく)



 

2014年7月8日火曜日

精神保健福祉士と自由を望まぬ人20

 野間は、相づちをうてずに固まった。それを気にせず、山崎は続けた。
 「けど、それはしょうがなかった。それでも僕はやらなきゃいけなかった。」
 「やらなきゃいけなかった?」
 「うむ。ESをね。」
 聞いた瞬間、ドクッと、野間は激しい動悸を感じた。

 広場の片隅で立ち止まり、ただ山崎を見返す。
 風は穏やかで、木漏れ日が指している。いつもなら、散歩をする患者が4〜5人はこの広場を歩いているのだが、今は誰もいない。
 他を排し、話が進むことを、広場自体が見守っているかのよう。

 山崎は、野間の様子を確かめるようにしてから、決心したように続けた。
 「昔はね。精神医学は理論的科学的に未熟だった。それでも、僕みたいな落ちこぼれは、そこに進むしかなかった。同期の奴らに見下され、教授に言われるまでもない。自分で分かっていたよ。初めてと言っていい人生の挫折だよね。ようやく医学部に入ったのにね。家族にさんざんお金かけさせて、期待させといて、それなのに、やっぱり自分に医者は合いませんでした、なんて言えないよね。あはっあはっあはっ。」
 野間は、ようやく視線を外した。
 「つまりさぁ。僕は劣等感の塊。患者を治せない医者。それが僕だ。全然、選ばれた人間ではないよね。」
 山崎は、笑顔を作り、一呼吸おいてから続けた。
 「だから僕は、患者を治したかった。患者のためじゃない。医者としての自分のためにね。当時、ESの科学的な機序は誰にも分からなかったけど、効果があったのは確かだ。僕はESにすがったよ。だから、男の看護人たちに、嫌がる患者を捕まえ、押さえつけさせた。執拗だと思われていたよね。」
 山崎は、もう一度、固まっている野間に視線を向け、また続けた。
 「その患者の時もそうだった。嫌がるのを、いつものように看護人たちに押さえつけさせ、ESをかけた。けど、患者は痙攣しなかったんだ。ただぐったりとして。まれに痙攣しない患者もいるし、どうしたか様子を観察していた。すると、別の患者が急に暴れだしてね。慌ててみんなで向かった。それで、しばらくして戻った時には、もう手遅れだったよ。」



(つづく)




 

2014年7月4日金曜日

精神保健福祉士と自由を望まぬ人19

 「野間君。僕ってさぁ。医者だよね。どう思う?僕のこと?」
 唐突な問いで野間は躊躇した。
 「えっと。えっ?」
 「いや、さあ。医者になるためにはさ、何百万どころじゃないお金がかかるよね。ってことはさ、お金待ちの家に生まれないとなれない。極端に言えばね。」
 「はぁ」
 「医学部への入学もさ、人が遊ぶ時間にも、寝る間を惜しんで勉強してさ、入学しても6年もああだこおだとやるわけだ。だから、少なくても10年ぐらいはまともな生活できないんだよね。その頃にはボロボロよ。」
 「はぁ。大変ですね。」
 「大変ってもんじゃないね。ホント。だからリタイアする奴も結構いるのよ。」
 「はぁ。そうですか。」
 「けど、それをくぐり抜けた人が医者になれるわけ。希望者からいえばほんの一握りの人間だよ。分かる?」
 「ええ分かります。」
 「つまりよ。僕はその一握りの選ばれた人間だってわけ。そうでしょ。ねっ!」
 野間は何だか自慢話を聞かされているようで辟易してきた。
 「実際さぁ。医者だって言えば、みんなすごいって言うよ。金もがっぽりで、女はほっておかないしね。」
 野間はあいづちするのも面倒になってきた。しかし、山崎先生は一向に気にせず続ける。
 「もちろん。元からハンサムだっていうこともあるがね。あはっあはっあはっ。」
 うんざりして、野間は、“ウナギ犬みたいな顔して”っと心の中で悪態をつく。
 そして、もう我慢できないと思い、グループワークの話を強引にしようと思った時だった。
 山崎先生が立ち止まって、一転、悲しい表情になった。そして、こう続けた。
 「僕は患者を殺した。この手でね。」


(つづく)



 

2014年7月1日火曜日

精神保健福祉士と自由を望まぬ人18

 一旦去ったが、やっぱり気になる。あの立ち去った影は、山崎先生ではないのだろうか。
 あの時、その場の患者に聞いたら、「ここに患者はいなかった」と答えた。しかし、もしそこにいたのが山崎先生なら、確かにそう答えるだろう。

 野間は、急いでさっきの売店に戻った。
 そして、今度は、離れた場所から患者が集まっているところを観察した。
 じっとその森を見ていると、やけに真新しいスニーカーが見えた。年配者が多いので、スニーカーを履いた患者は珍しくなかったが、こんなに新しいのは買ったらすぐに目につく。最近、スニーカーを買った患者はいない。
 野間は、患者の集まる場所にそっと近づく。そのスニーカーから目を離さず。
 近づくと、その表情、立ち振る舞い、服装、雰囲気。どれをとっても患者にしか見えない。まさに同化している。しかし、山﨑先生だ。
 野間は、患者と同化した山崎先生に声をかけた。
 「先生」
 山崎先生はすぐには反応しなかった。しかし、じっと視線を外さずに待っている野間に観念したのか、「おっと。野間君じゃないか。どうしたの?」と平静をよそおって答えた。
 「グループワークについてお話させてください。」
 「うん。うん。まあちょっと話そう。」
 そう言って、腰を上げ、歩きだした。野間も並びついていく。

 少し歩くと、小学校の体育館程度の広さのやや広めの広場がある。適度に緑があり、草や土のにおいがする。
 「ここは本当に変わらない。頑なに変わることを拒んでいる。そうも思えるなぁ。何十年と変わらないというのは私みたいだ。あはっあはっあはっ」
 「変わらない、ですか?」
 「うんそう。そういえば、どうして僕があそこにいるってわかったの?」
 やっぱり隠れていたな、と思いながら、野間はスニーカーの話をした。
 「おっとそうかぁ。気合入りすぎたか。」
 「え?」
 「あっ、いや、なんでもないよ。あはっあはっあはっ。」

 そこからの先生の話は、野間にとっては意外な内容だった。


(つづく)