2014年10月23日木曜日

精神保健福祉士と自由を望まぬ人34

 「私はただ、流れの中に浮かんでいる水草のようなものです。」
 それだけ言って、会釈をして立ち去った。

 水草であるとはどういうことか。野間はその意味を掴めず、ただ見送るしかできなかった。
 野間が呆然としていると、ナースステーションから緊張した声で呼ばれた。
 「ちょっと野間さん。大変よ!電話に出て!」
 慌ててナースステーションに飛び込むと、看護師が受話器を渡しながら「小林さんの甥ですって。無理に退院させようとしてるんじゃないかって怒ってるのよ。」と。
 野間が緊張しながら受話器を取ると、大きな怒鳴り声が響いた。
 「おい!! どういうことだ!! 今更退院なんて聞いてねえぞ!! お前ら一生面倒見るって言ったじゃねえか!! それを今更!! ふざけんな!! 」
 急な怒鳴り声に、野間はびっくりした。慌てて、何と答えていいか分からない。とりあえずだが返事をした。
 「ちょっちょっと待ってください。そんなに怒鳴られたら返事ができません。落ち着いてください。」
 すると、ころっと声の調子を落として言ってきた。
 「いいかい。こっちは無理なことを言ってんじゃねえんだよ。約束を守って欲しいってだけだよ。分かるか?」
 「約束ですか?」
 「そうだよ。おじを入院させる時、一生病院に入院させて面倒を見るって言ったんだよ。分かったか。」
 「一生ですか?」
 「ああ。そうだよ。㉚何年も前のことは知らねえって言うんじゃねえだろうな!」
 「いや。そうではありません。そのような約束を、私どもの病院がしたということを否定するつもりはありません。時代的にもそういうことがあったと聞いていますから。」
 「おう。そうかい。それなら良かった。じゃあ、その退院グループワークとかなんとかいうのを中止してくれるな。」
 「えっ。退院グループワークですか? それは小林さん本人から聞いたのでしょうか?」
 「いや。病院から送ってきた、いつもの入院費の支払い領収書に紙が入ってたんだよ。」
 「紙?」
 「ああ。あなたの家族は退院グループワークに参加しているので集団精神療法ってので、金の請求をする可能性があるってさ。」
 野間は、誰の仕業かすぐに思い当たった。


(つづく)



 

2014年10月13日月曜日

精神保健福祉士と自由を望まぬ人33

 あれから一週間。
 第二回目のグループワーク、一歩の会の日が来た。担当は作業療法士の星原。
 順番を決める時、「俺だ俺だ」とうるさいのでみんなが譲った。

 結局、小林は来なかった。朝の検温の時に声をかけたら、「はい。行きます!」とはっきりと答えていたのに。
 会自体は上手くいった。人前に出るのが好きな星原は、場慣れしているようで、ジョーダンを交え、うまく盛り上げながらすすめていた。
 しかし、野間は、小林のことで頭が一杯だった。

 終了後、星原から「どうだ! 上手く行っただろ。」と言われたが、持ち上げる言葉は言えなかった。
 野間は、小林が2回も、来ると宣言しておきながら来なかったことで、また裏切られたような気がして怒りを感じていたからだ。
 察したように星原が言った。
 「小林さんは来なかったな。」
 「ああ。朝の検温でも、来るって言ってたんだけどなぁ。」
 「なんで来ないんだって、聞いておこうか?」
 「いやいや。どうせこの後に病棟行くからいいよ。」
 野間は、星原に任せるときつく言いそうだったし、自分で聞かなくてはとは思っていたので慌てて答えた。

 病棟に行くと、フロアーに小林がいた。また、一人でテレビを見ている。
 「こんにちは。」野間が声をかけると、また慌てることなく落ち着いて答える。
 「こんにちは。一歩の会が終わったんですね。」
 「はい。今回も欠席でしたが、体調が悪いのですか。」
 「ええ。申し訳ありません。けど、もう大丈夫ですので。」
 そう笑顔で答える。

 また野間は、その笑顔に違和感を持った。
 そのため、“聞くのは今だ”そう思った。しかし、聞いて嫌な思いをさせないか。そう思うと躊躇する。
 前回と同じように、散歩に行くために立ち上がろうとする小林。
 “自分の殻を破る”、“自分が傷つくのが怖いだけ”。その言葉が脳裏をよぎった。と同時に、野間は声を発していた。
 「どっ、どうして。どうして、そうにこにこしていられるのでしょうか。怒っているわけではありません。怒っているわけではありませんが、ただ不思議な気がします。不思議な気が。」
 野間は、自分の表情が小林に、怒ったように見えないように意識し、小林の言葉を待った。
 小林は笑顔のままで表情を変えずにこう言った。


(つづく)



 

2014年9月30日火曜日

精神保健福祉士と自由を望まぬ人32

 野間は歩きながら考えた。
 殻をかぶっている。患者さんとの間に壁をつくっているということだろうか。けど、相手を嫌な気持ちにさせたくないというのがなんでいけないんだろう。

 相談室に戻る途中、心理室の前を通ったら、福田が立っていた。それも、不自然に突っ立っている。不思議に思い、声をかけずに通り過ぎようとしたら、固まったまま目も向けず、急に喋りだした。
 「おほん。君は自分が傷つくのが怖いだけじゃないのかね。人と向き合うということは、すなわち自分と向き合うということなのだよ。」
 えっ!と驚いて福田を見ると、「以上。なおこのテープは自動的に消滅する。ドッカーン!」っと大げさに叫んで、冷静な顔で心理室に入っていった。

 野間はあっけにとられた。
 しかし、「自分が傷つくのが怖いからじゃないのか。」と確かに言われた。そしてそれが、ぎゅっと心臓を鷲掴みにしたのも確かだ。人に嫌われたくない。そういう気持ちが自分は強いのかなぁと思ったことはある。しかし、何とはなしに流してきた。それで何とかなってきた。
 けど、精神保健福祉士として人を支援していくには、そうはいかない。
 野間は、気分を害したとしても、ちゃんと小林にぶつけてみよう。そう思った。

 病棟に小林はいなかった。探したがなかなか見つからない。院外に出たのだろうか。
 半分諦めながら歩いていると、不意に小林を見かけた。小林がいたのは、例の病院の大きな墓の前だった。
 野間は、すぐには声をかけず、何をしているのか遠くから見守っていた。しかし、小林は手を合わせるでもなく、ただ佇んでいるだけだった。
 それでも、なんだかその厳粛な雰囲気にのまれ、野間は近づこうにも近づけずにいた。

(つづく)



 

2014年9月25日木曜日

精神保健福祉士と自由を望まぬ人31

 「ただのサボりではないということですか? もしそうなら、そもそもサボりの語源は、」
 「はい。単なる面倒くさいとか、面白くないとか、そういうことじゃなくて。もちろん、退院したくないという気持ちがあるのだとしても、感じるんですよね。もっと深い所からくる違和感を。」
 福田は少し考えて、きっぱりと言った。
 「じゃあ聞けばいいじゃないですか。本人に違和感を感じると言えばいいじゃないですか。そもそも、違和感を媒介に、心的深層意識を現実意識に求めた研究者は、」
 「そっそんなことしてもいいんでしょうか? 相手に嫌な思いをさせないでしょうか?」
 「嫌な思い? それをアスペの僕に聞いていますか? そもそもアスペルガー症候群とは、」
 「あっ。すいません。自分で考えるべきことでもありますよね。けど、なんだか話せてよかったです。ありがとうございました。」
 そう言って別れた後、野間は相談室の前を通り過ぎて、医局棟に向かった。

 医局の部屋に入ると、ビクッと立ち上がる影が見えた。成宮先生だ。
 「おっおぉ。野間君かぁ。びっくりさせるなよ。お前の先輩かと思ったじゃないか。お前らオーラの色が似てんだよ。」
 「はぁ。そうですか? 全く違う人間だと思いますが。」
 「そんなことより、何の用だ? こっちは、机に伏せて瞑想しながら、患者の治療計画を構想していて忙しいんだよ。」
 野間は、ただの居眠りのことね、と思いながら、違和感の正体について聞いてみた。
 すると、「おーっ。いいねぇ。違和感を手繰り寄せて、真実に行き着こうとする姿勢。美しいねぇ〜。」と。
 そして、野間が照れていると、続けてこう言った。
 「ただ皮をかぶりすぎだ。」
 「皮ですか?」
 「そう皮。このヒントについては、お前の先輩に聞いてみろ。僕皮かぶりですかってな! わっはっはっは! リベンジだ! はずかしめて、奴にリベンジしてやる! わっはっはっは!」
 野間が引いて見ていると、冷静になったのか。真顔になって言い直した。
 「いや待て。今のは無しだ。取り消してくれ。倍返しだ!って言ってきそうだよな。うん。やめよう。」とつぶやいた。
 そして、「殻だ。言い間違えたよ。殻をかぶっていると言いたかったんだ。」と言った。
 野間が考え込むと「あとは自分で考えろ」。そう言うと、シッシッと手で追い払われた。

(つづく)




 

2014年9月22日月曜日

精神保健福祉士と自由を望まぬ人30

 終了後、野間はすぐに病棟に向かった。小林に会うためだ。

 病棟に入ると、探すまでもなく、目の前のフロアーでテレビを見ている小林を見つけた。
 普通に座っている様子を見て、やっぱりサボりかとがっくりしながら声をかけた。
 「小林さん。」
 小林は、慌てる様子もなく「ああ。こんにちは。」と答えて、またテレビに向き直った。
 「あっ。あの。1回目のグループワークが今終わりました。小林さんは体調不良ということでしたが、もう大丈夫なんですか?」
 テレビを見たまま、考えているのか小林の反応がない。しばらく待ったあと、野間が「あのぅ」と話しかけると、今度はさっと小林が振り返った。そして、ニコニコとした笑顔で「はい。大丈夫です。失礼しました。時々、急に気分が悪くなる時があります。疲れのせいかもしれません。けど、今度は体調も整えてちゃんと出たいと思っていますから、よろしくお願いします。」と話した。

 野間は、笑顔で、こちらが望む模範解答をあっさりと口にする姿に違和感を持った。違和感を持ったが、だからどうだという理由は見つけられない。
 散歩に行く、という小林をただ見送った。

 相談室に戻る途中、偶然に福田と会った。
 福田はすぐに今日のグループワーク様子を尋ねてきた。野間は、導入としては上手くいったと思う、として、患者の反応などを伝えた。
 そして、小林が欠席して病棟でテレビを見ていた話をした。
 すると、福田は冷静に答えた。
 「そのように話すということは、野間さんとしてはサボりじゃないかと思っているんですね。私がなぜそう思ったのかというと、」
 「はい。そう思いました。特別体調が悪そうに見えませんでしたから。」
 「なるほど。病棟で普段から様子を見ている野間さんであれば、そういった判断もつくのでしょう。これが仮に私なら、」
 「それから、福田さん。それよりも気になるのは、小林さんは体調不良についてしっかりと説明して、しかも次回はちゃんと出ると笑顔で言うんです。これって何だかおかしくありませんか?」



(つづく)




 

2014年9月16日火曜日

精神保健福祉士と自由を望まぬ人29

 検温の時間が終わり、解散となった時、野間は小林に声をかけた。
 「おはようございます。」
 小林は予想していたかのように、落ち着いた声で応えた。
 「おはようございます。」
 「グループワークに参加を希望していただきありがとうございました。」
 「いいえ。いいリハビリですね。私も頑張ります。」
 そう言って、一礼し立ち去った。

 優等生のような回答。しかし、感情がこもっていない。用意していたセリフを読んだだけのような、そんな印象を持った。

 結局、グループワークの参加患者は7人。
 まあ最初だからこんなものだろう、ということでこれ以上増やさず実施することになった。
 第1回目は、野間が担当して全体のオリエンテーションと、グループづくりのための自己紹介やアイスブレークとして簡単なレクリエーションを行う。
 グループは、「クローズ」で行うため、病棟ではなく、小会議室を借りて行っている。
 ちなみに、「クローズ」は決まった参加者で限定して行う形式のもので、「オープン」は誰でも途中参加できる形式を言う。「クローズ」は、決まった人だけで継続的に話すので、個人的な話をしやすくなる。不安や悩みを吐露するにはクローズグループである必要がある。そのために、場所も閉鎖した空間とする。

 当日、師長と野間の二人でのぞむ。星原や他のスタッフメンバーも参加を希望したが、スタッフが多数になってしまうと、参加患者が委縮し発言しにくくなるため、野間は断った。
 患者の参加は6名。しかし肝心の小林がいない。
 同席している師長も理由は分からないとのことなので、野間がPHSで病棟に電話した。
 電話に出たナースによると、小林は、体調が悪いので欠席すると言ってきたらしい。
 野間は、やはりという気もしながら残念と肩を落とした。しかし、だから中止というわけにも行かず、会を進めることにした。

 師長の演説の後、まずは、このグループを「一歩の会」と命名すると皆の話し合いで決めた。
 自己紹介では、流暢に話す者や、緊張した様子で直立不動で話す者、ボソボソと小声の者などさまざま。
 最後に、ミニゲームをした。緊張した患者にも笑顔が見られて、野間はひとまずホッとした。
 楽しいと感じることは、継続して参加するための、当初の動機づけの1つとなる。


(つづく)



 

2014年9月12日金曜日

精神保健福祉士と自由を望まぬ人28

 「集団精神療法は、プログラムをやればいいというものではなく、選定と喚起が肝心です。そもそも、」
 野間があわてて制する。
 「なっなるほど。確かにそうですね。どうするか、みなさんは何かご意見はありませんか?」
 すると、星原が「野間の方で考えてることがあるんだろ。まず出したらどうだ。」と。
 師長も「それがいいわね。野間さん。お願いね」とつづく。
 それならと野間は話し始めた。
 「このグループワークの目的はリハビリです。それには、患者の主体的な参加が必要ですから、一つは全体への参加呼びかけ、それからもう一つが個別の患者への声掛けをしてはどうかと思っています。」
 成宮が「異議なし!」と。
 師長「それじゃあ、病棟のみんなが集まる朝の検温の時に野間さんから言ってくれる?」
 「はい。分かりました。」
 そして、個別に患者を誘うのはそれぞれで判断して行うということとなった。
 野間は、もちろん、小林を誘うつもりだ。


 次の日の朝の検温。
 「リハビリが目的よ。すぐに退院しなさいということじゃないから不安に思わないでくださいね。」
 そう師長が補足しながら説明した後、野間が具体的な内容を説明。病棟の患者達がじっと耳を傾けていた。もちろん、その中には小林もいる。
 最後に「それでは、今の時点で参加してみようと思う方はいますか?」と尋ねた。
 パラパラと数人が手を上げる。割と若く入院期間の短い人がほとんど。
 野間は、まあ予想通りだなと見渡した。その途中、はっと目を疑った。小林が手をあげていたのだ。
 すぐに退院ではないとはいっても、退院に繋がりそうなプログラムである。それに、個別の勧めもないのに、小林が自ら希望するとは思っていなかった。野間は驚いた。
 あんなに退院に過剰に反応して不穏になったのは何だったのか、不思議でもあった。



(つづく)