2015年2月26日木曜日

精神保健福祉士と自由を望まぬ人45

 野間が「仲間がいなかった?」と返すと山田が答えた。
 「いや。いたこともある。」
 「それは小林さんですか?」
 野間は、ようやく小林に辿り着いた気がして、身を乗り出した。
 山田は不思議そうにしながらも、そうだと答えた。
 ただし、スパイのコードネームであって、本名は知らないと付け加えた。
 野間はかまわず尋ねる。
 「それで、小林さんとはどんなことをしていたんですか?」
 すると、山田は、眉をひそめながら「電パチの拷問だよ。」と静かに語った。
 「拷問、ですか。」
 「ああ。そうだ。俺達はスパイとして捕まって、ここで拷問を受けていた。何度、電パチで殺されると思ったか分からないよ。しかしな、俺達は、それを耐え続けた。」
 そして、誇らしげに顔を上げて、「俺達は戦友だ。」と言った。

 野間は複雑な気持ちだった。ESは治療を目的に行われたが、受ける患者にとっては、やはり恐怖の対象でしかなかったのだろうか。
 ここで、野間には疑問が生まれた。
 山田さんが信じているスパイの妄想は、もともと持っていたものだろうか。それとも、精神科病院に入院したことで起こったのだろうかということだ。
 もしかして、精神科病院が妄想を作り出したとしたら。それは、病院が加害者であることを指し示している。そう考えると寒気が走った。
 知りたくない気持ちと知りたい気持ち。それが交互に押し寄せる。
 野間は耐えきれず、「あっ時間だ!」そう言って、慌てて病室を後にした。

 小走りで病棟の廊下を抜け、ガチャガチャとせわしなく入口の鍵を開けて外に出る。そこで、ようやく息を吐いた。
 すると急に声をかけられた。驚いて顔を上げると星原だ。
 「なんだよ。鳩が豆鉄砲入りのゲロを投げつけられたような顔しやがって。」


(つづく)




 

2015年2月23日月曜日

精神保健福祉士と自由を望まぬ人44

 すると、山田はスッと立ち上がり、自室に向かって歩いて行ったので、野間もとりあえずついていくことにした。

 野間が部屋に入ると、山田が笑顔で待っていた。
 「よう! 新人! 分かったかい?」
 「えっと、あの」
 野間が言いよどんでいると、すかさず山田が言った。
 「はっはっは。まあ最初は分からなくて無理ねえよ。」
 野間はホッとした。
 「いいか。今日、看護人がいただろ。」
 「看護人? 看護師のことですか?」
 「は? 何言ってんだよ。女は看護婦で、男は看護人だろうよ。」
 「ああ。そうですね。それで、看護人がどうしたんですか?」
 「あいつの靴下だ。」
 「靴下?」
 「おう。そうよ。看護人の靴下が赤い時は電パチやるっていうサインだ。」
 「電パチ?」
 「は? お前そんなことも知らないのか?! 電気ショックだよ。電気ショック。あいつらはESって暗号で言ってるけどな。俺は知ってんだよ。俺はスパイの40年選手だからな。」
 そう言って、山田は楽しそうに笑った。

 野間は緊張した。急に、苦手な話題のESの話が出てきたからである。
 しかし、山田はかまわず続ける。
 「いいかい、新人。よく聞くんだ。看護人が赤い靴下を履いている時は、この中の誰かが電パチを受ける。青の時は不潔部屋だ。」
 「不潔部屋?」
 「あるだろ、看護人の詰所の後ろに。」
 「ああ、保護室のことですか?」
 「保護室? なんだそれ。不潔部屋は不潔部屋だろうよ。何言ってんだよ。まあいいや。いいか、けど看護婦がいると厄介なんだ。看護婦が一人と看護人一人だと、靴下の色は紫が電パチだ。それから、看護人が二人だと、」
 山田が多弁に話し続ける。

 野間は、矢継ぎ早に話される、その妄想話に圧倒された。しかし、それと同時に、靴下の話は妄想だと指摘したい衝動に駆られた。今は、ESもほとんど行われていないし、看護人は看護師、不潔部屋は保護室なんだと。それは妄想なんだと。
 けど、先輩の言った室長語録が耳に残っていた。クライエントの世界に飛び込めと。
 野間は思いとどまり、また山田の話に耳を傾けた。

 どのくらい時間が経っただろうか。ふと、山田の話が止まった。
 野間が、はっと顔を向けると、山田が言った。
 「いやぁ。うれしいよ。こうして話を聞いてくれる仲間がいて。」
 野間はドキッとした。それまでの妄想の発言ではなく、正気の本心に聞こえたからだ。


(つづく)




 

2015年2月5日木曜日

精神保健福祉士と自由を望まぬ人43

 若狭先輩は、その険しい顔を見て、一呼吸おいてから言った。
 「鎮まり給え乙事主よ! 祟り神となられたのか! シシ神様のもとへ!」
 「えっと。あの、乙事主ではありません。」
 「いいかな、野間君。」
 若狭は急に真面目になって言った。
 「迷える子羊よ! 室長語録を聞かせてしんぜよう。えへん。妄想をもつクライエントに、支援する目的で関わるとするなら、その世界に飛び込みなさい。自分の世界からはクライエントの世界は見えないわ。クライエントの世界を知ることがそのクライエントを支援する大前提よ。」
 「クライエントを理解するということですね。けど、妄想の世界にですか? 妄想は現実ではありませんよ。」
 野間が躊躇すると、若狭が続けた。
 「この道を行くとどうなることか。迷わず行けよ! 行けば分かるさ! ダーーーッ!!!」
 アゴを付き出して、拳を突き上げ、そのまま相談室を出て行った。
 野間は、あっけにとられたが、しばらく考え、勢い良く席を立った。向かったのは、閉鎖病棟である。

 病棟に着くと、また看護師に声をかけ、奥に進む。
 すると、山田がこちらに歩いてくるのが見えた。
 野間が歩みを止め、笑顔で待ち構えるが、山田は気づかない風に通り過ぎようとした。
 野間は、さっきの親しげな様子とはうって変わって、完全に無視する山田の態度にガックリときた。
 呆然としていたら、ちらりと山田が目配せをした。あれっと思い、離れて後をついて行ってみた。
 山田は、そのまま歩き、ナースステーションの前のフロアーにあるテーブルに手を置き、椅子に腰掛けた。そして、離れて立っている野間に、また目配せをした。
 よく見返すと、どうやらナースステーションにいる男性看護師を見ろ、ということらしい。
 野間は、山田と同じように、そっと見てみるが何も変わった所はない。
 しかし、山田を見ると、こっちを見てうなずいている。
 野間は、よく分からなかったが、うなずいて返した。

(つづく)