2019年11月19日火曜日

精神保健福祉士と自由を望まぬ人5

 おじいちゃんやおばあちゃんが亡くなった時、当然葬式が行われた。
 泣き崩れる母に寄り添って、野間は、後悔が頭の中を満たしていくのを感じた。おじいちゃんやおばあちゃんに、もっとこうしていれば、ああしていれば。亡くなってしまった後には、もうどうしようもないことを。
 呆然としている野間に、いつも無口な父が一言だけ言った。
 「泣きなさい。」その声は優しくも強かった。
 野間は、それをきっかけに母と手を取り合って泣いた。

 泣き終えて、静まり返った火葬場で待つ間、考えた。葬式をしたり墓を立てることは、亡くなった人のためではあるが、それは結局、残された人のためなんじゃないか。そのような儀式を経て、残された人は自分の気持ちを整理する。否認、後悔、怒り、悲しみ、寂しさ。
 この無縁仏の墓もそうだろうか。
 この墓が、病院の職員、一緒に入院していた患者さんたちに、しょうがなかったんだという気持ちの整理をもたらしているのだろうか。
 もしそうなら、それは危険なことかもしれない。なぜなら、そう気持ちを整理することで、職員の退院への働きかけが滞ったり、患者さんたちの退院したいという気持ちを低下させることにもなるんじゃないか。諦めを強化するということだ。
 それはいけない。諦めてはいけない。

 野間は顔を上げ、くるりと墓に背を向けた。そして、歌を口ずさみながら一歩踏み出した。
 口ずさんだ歌は、もちろん水戸黄門の〆の部分。

 「♬泣ーくーのーが、いーやーなーらー、さーあ、あーるーけ〜〜♬」


(つづく)


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